テレビアニメ「やがて君になる」 9話までの水と光とガラスと砂の考察

2018年12月1日アニメ/マンガ等,感想/レビュー

「やが君」9話までの水と光とガラスと砂について、ネット上の考察を複合しました。

  • :「特別」(「好き」)に至れない侑の気持ち、状況
      1話から数度登場していて分かりやすい
  • :姉の身代わりを演じていることで誰にも頼ることのできない燈子の渇き
      OPに出ていたとは知らなんだ
      本人は、姉の姿と旧来の自分の姿は二つとも偽りであると考えていると思われる。なのでどちらも肯定されたくない=「好き」が怖い
  • :「特別」(「好き」)を知っている、持っている気持ち、状況
      水から光への対比は9話で顕著でした
      「星」とは完全には同義ではないと思われます
  • ガラス:透過するので「光」が自らに届く(「特別」を知っている)も、直接触れられない状況

 以上を踏まえると、1話の時点で一切「特別」(「」)が分からなかった侑(「」)は、燈子との出会いを通して少しずつ「特別」(「」)を知るようになる。
 侑は当初、燈子と自分の状況は全く同じ(「特別」を知らない)であり、燈子は自らとの出会いを通して「特別」を知るようになっていて、自らも燈子に追いつきたい(単純に同じように「特別」を知りたい)と思っていた。しかし6話や8話を通して徐々に燈子の感情の本質に気付き始めると、「」へ届くことがむしろ二人の関係を遠ざけることになりかねないと危惧する。「」は差し込み始めたものの、中間には「ガラス」があり直接手を触れることはできない。 
 ちなみに、「ガラスのハート」は脆く傷つきやすい心の意味で用いられるが、実はガラスはそんなに脆くない。窓ガラスなら中央の一点を突かなければ早々壊れはしない。「光」へ手を伸ばすためには越えなければならない厚い壁があるようだ。

 燈子(「砂」)にとっては、“「好き」を持たない侑(「水」)”こそが癒しであった。もし「水」(侑)が「特別」を知って「光」となったら、「砂」はどうなってしまうのだろうか……。
 原作も継続中であり確かなことは分からないが、OPの最後に出てくる“「」の中の「」”に本作の終着点が見えるように思う。

参考

 下記リンクを参考にしました。よく考えられた考察に脱帽。

 全体を通しての感想記事は年明けに書きます。